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Jyosetsu Gaiden

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拙きが如し。 そんな私ですが、北海道の色々な釣りを楽しんでいます。

 

北の国から その5

「2002年 遺言」で完結していたとばかり思っていた「北の国から」ですが、実は終わっていなかったんです。

倉本聡氏はまだまだ続けるつもりでいましたが、フジテレビの制作チームがすでに定年を迎えていたというのが一番の要因だったそうですね。
しかし倉本氏に言わせれば、後継スタッフに引き継げばいいだけの話じゃないかと主張しましたが、制作チームは自分たちの輝かしい花道を欲するあまり2002年 遺言をもって打ち切りを決めたそうです。
それがよくあらわれていたのが、2002年 遺言の放送直前だったか直後だったか忘れましたが、北の国からのメイキングビデオの放送で、いわば、制作チームの自画自賛番組になってしまっていました。

実は終わっていなかった・・・ということは、この「拾ってきた家---やがて町」にきて初めて知りました。

初めて見る、拾ってきた家がありました。
その中に、こんな倉本聡の直筆原稿がありました。


見難いと思いますので清書します。


 ●「北の国から」2004 純と結の家

 小さな事件は色々あった。でもそれは、どこの家庭でも起るような事々で、とりたてて人に云うような話じゃない。

 2002年冬。僕は結と結婚した。
 その時、それからその後のことを、実は今あんまり思いだしたくないんだ。
 結婚と同時に僕らは麻町にアパートを借り、麓郷を離れて富良野の町に住んだ。
中畑のおじさんもシンジュクさんもクマさんも結婚式にさえ呼ばなかった。
そのことで僕らはまわりの人々から陰で恩知らずと云われていたらしい。
 でも。
 僕は僕なりに結婚ということを、新しい家庭を創るという夢を、誰の手も借りず、誰に迷惑もかけず、二人っきりのこの世で初めての純粋な作業にしたかったんだ。
たぶんそのことこそ僕らにとっての出航の仕方だと思っていたんだと思う。
 だから僕らは結婚式も僕ら二人の考えだけで進めた。
式場は僕らの2DKのアパートで、参加してもらったのは父さんと雪子おばさんと、それに羅臼のトドだけだった。
披露宴も一切しなかった。
この三人にだけ来てもらえば充分だと、有頂天の僕らは思いっ切り信じていた。
埼玉の方にいる螢や正吉には、金がかかるから来ないで良いと云った。
 その晩、僕らと別れた父さんとトドが、くまげらで飲んで何故か荒れ狂い、中畑のおじさんや成田のおじさんやシンジュクさんまで呼び出して大暴れをし、ふすまを何枚も叩きこわしたという話を後で聞いたときも、全くしょうがねえ!と思っただけだ。

 僕らは麻町の小さなアパートで、ままごとのような愛の巣にたてこもり、ヴィデオを見たりテレビゲームをしたり、とにかく幸せの絶頂にいた。
 麓郷にはたまにしか僕は行かなかった。
むしろ結の方が年中通って、父さんに晩めしを作ったりしていた。

 二年前おばさんを癌で亡くした中畑のおじさんが、新しい奥さんをもらうことになったと聞いたのは2004年の春先のことだ。
そのおじさんの新婚の家を、雪子おばさんの拾ってきた家の隣に、やっぱり捨てられてあるものだけを集めて父さんが作り始めたらしいという話も、その時一緒に風の便りにきいた。
死んだおばさんの遺言の中にあった、拾ってきた町という夢みたいな話を、父さんがマジに追っかけているという話に、いいかげんにしてよと僕らは笑った。

 事実を僕が初めて知ったのは、コンビニで逢った中畑のおじさんの口からだ。
 木材屋をやってるおじさんだったら、いつだって新しい材料で新築の家が建てられるのに、おやじがわざわざ拾ってきたもので変てこな家を建てたりしちゃって、迷惑しているんじゃないですかと笑ったら、中畑のおじさんはしばらく黙り、それからいきなり小さな声で怒鳴った。
 それはちがう!とおじさんは叫んだ。
 五郎の建ててるのは俺の家なんかじゃない!あれはお前ら二人の為の家だ!
 育ててくれたおやじを、麓郷を、簡単に捨てて出て行ったお前らに、いつかもう一度戻って来て欲しくて、あいつが黙々と建てている家だ!
 あれは、お前ら二人の為の家だ!

 その晩僕らは月明かりの下で、そっとその家を見に行った。
 僕らは口がきけなかった。
 アパートに帰っても僕らは黙っていた。
 テレビもつけずに、結も僕も泣いた。
 父さん!
 この二年を僕は今。------考えています。
 新婚の幸せにどっぷりひたり、家庭は僕ら二人きりのものなのだといつのまにか次第に思い込んでいた自分。
 しかしその間父さんは変わらず、一方通行の無償の愛情を僕らに対してそそいでくれていた。
それが僕たちの嘲笑していた、あの新しい家だったんですねーーー。




その家がこれです。


バスが突っ込んだような家ですが、なかなか良く出来た家でした。


中は明るくて開放的です。


センターキッチンを実現しています。
2階の寝室は立入禁止なので見ることはできませんでした。


お風呂は石積みの五右衛門風呂です。

そしてあのバスはどうなっているのかというと・・・。



運転席側は和室になっています。


後部はソファーのリビングでした。

ドラマで観たかったですね。
でも、どんなドラマになったかは大方は予想できましたよね。


※このお話、北の国から資料館では、2004年ではなく2005になっています。




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プロフィール

如拙(じょせつ)=とっち

Author:如拙(じょせつ)=とっち
北海道の釣り・キャンプ・旅行など、夫婦で各地を飛び回っています。
ブリジギング・ワカサギ・カレイ・ニシンやチカなどのサビキ釣り・アキアジ(鮭)の他に、ルアーやフライなどジャンルを問わず、面白そうなことは何でもチャレンジしています。

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