バスは乗車してすぐに着いた・・・というほど近く感じましたが、歩くと15分程かかるそうです。
他には、下車した人が僅かに一人だけでした。
駐車場は閑散としていて、雨音だけが聞こえてきます。
建物などは一切見えず、ここかなと思える入口がありました。

いかにも比叡山といった印象です。
やや下った道を200m程進むと左に曲がります。

この先も道は続きますが、左右には小さな社やお堂のような建物があります。
杉林の中に大きな二つの建物が見えてきました。

修行中ですので静かに、と書かれていました。
聖域に入り込むような気分で先へ進みます。
ここには対照的な形をした「にない堂」と呼ばれるお堂があります。

こちらが「法華堂」です。
そしてこちらが「常行堂」です。

二つのお堂は渡り廊下でつながっています。
どちらの建物からも何も聞こえてきません。
座禅でもしているのでしょうか?
かつて、弁慶がこの渡り廊下を天秤棒にして担いだという伝説から「弁慶のにない堂」と呼ばれています。

釈迦堂への石段から振り返ると、にない堂の渡り廊下が見えます。
そして、この石段はさらに深い杉林にある「釈迦堂」へ続くのです。

東塔と違って、石段は緩やかなので楽でした。
拝観者は数人のみしかすれ違っていません。
釈迦堂の前の広場に出ました。

西塔の中心「釈迦堂」の本尊は、伝教大師が自ら彫った釈迦如来です。
釈迦堂は信長の焼討ち後、豊臣秀吉が三井寺から移築した、天台建築様式の山内最古の建物です。
中はやはり薄暗かったのですが、根本中堂よりは内部の様子が見えました。
バスの時間にはまだ早かったので、さらに奥へと進んでみます。
ここからは整備されていない道になります。

雨が降っているので泥水になっていますが、私たちも修行のように坂を上り下りします。
道を間違えてしまったか?
そう考えてしまうほどの悪路でしたが、突然に石仏が現れました。

弥勒石仏です。
比叡山でみられる石仏では最も古く、鎌倉時代初期に彫られたと推測されています。
光背と台座の一部が破損していますが、信長の比叡山焼き討ちの時のものと考えられています。
来た道を引き返しているときに、荒れた道を団体で拝観する一団が現れました。
近くに車道があるらしく、この荒れた道が近道のようです。
予定していた「横川(よかわ)」には、雨の為に行けませんでした。
西塔バス停から乗車して東塔バスセンターに戻り、ここから京都駅行のバスに乗りました。
道はカーブの連続で、京都市内に入った時には見たことのある通りでした。
そこは銀閣寺周辺で、ここからは意外に時間を要して京都駅に到着です。
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