宝厳寺本堂から短い石段を上ると、朱塗りの三重の塔が見えてきます。

これは、江戸時代初期に焼失したといわれる三重塔を、平成12年に約350年ぶりに復元したものです。
見上げると美しくみえるような計算がされているのでしょう、朱色が鮮やかでした。
その隣にある「宝物殿」に入ります。

さほど広くはありませんが、このような場所に建っているだけでも違って見えます。
宝厳寺に伝わる仏像や仏具、書状などが展示されていました。
帰りがけ、宝物殿の管理をしている方が声をかけてくれました。
私のカメラを見て倍率の高い望遠レンズだと思ったのでしょう、スズメバチの巣を見せてくれると言います。
宝物殿の軒に40cmくらいでしょうか、確かにスズメバチの巣がありました。
コンパクトカメラの方が倍率が高いのでそれを使って撮影しましたが、大きな蜂がブンブン飛んでいました。
次は石段を下りる途中に、国宝の「唐門」が見えてきました。

前側の唐破風の方が唐門で、奥が観音堂です。
この唐門は、秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた極楽門を豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたものです。
移築の際、土地の条件から観音堂に接して建てられています。

桧皮葺(ひわだぶき)、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金(きんめっき)の飾金具が散りばめられ、虹梁中央の蟇股の周囲には鳳凰や松・兎・牡丹の彫刻を、二枚の大きな桟唐戸や壁には牡丹唐草の彫刻を極彩色塗りとして飾っています。
豪華絢爛と言われた桃山様式の唐門の代表的遺構です。
一番気になったのは、この寺の開祖様でしょうか?
木像が風化してなんとも味わいがありました。
手を触れないようにと書かれていますから、みなさんついつい触っちゃうんでしょうかね?
中に入ると観音堂ですが、ここは撮影できません。
観音堂は千手観音菩薩を納めたお堂で、天井裏にも昔の絵天井の名残りがあります。
その先に進むと「船廊下」です。

国宝と書かれていますが、重要文化財です。
観音堂から都久夫須麻神社に続く渡廊・船廊下は、朝鮮出兵のおりに秀吉のご座船として作られた日本丸の船櫓(ふなやぐら)を利用して作られたところから、その名がついています。
これも唐門、観音堂と同時期に桃山様式で作られたものです
ここは現在修復中で、その様子が見学できるようです。

檜皮を丁寧に木の釘で打ち付ける地味な作業です。
このようにして美しい屋根が出来ているのです。

この島はほとんどが石段でつながっています。
いつの間にか陽も傾き、届いているのは上の方でした。
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