とうとう最終日になってしまいました。
ワンパターンな朝食もこれが最後・・・。

スープやジュース、そしてコーヒーなど紙カップばかり。
もったいないような気もします。
この日も早起きしたので、予定よりも30分以上早くチェックアウトできました。
瀬田駅から各駅停車で京都駅迄乗車します。
瀬田駅が各駅停車の電車しか停まらないので仕方ないです。
京都駅で大荷物をコインロッカーに入れて地下鉄を利用します。

烏丸線国際会館行に乗り、烏丸御池駅で乗換て東西線太秦天神川行に乗車。
二条城前駅で下りると、すぐ近くに二条城の東南隅櫓と外堀が見えます。

外堀伝いに歩き、東の大手門が入口です。
ここにある自販機で入場券を購入して中へ入ります。
小砂利の道を人ごみの流れ通りに進むと唐門がありました。

切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造となっています。

彫刻がふんだんに使われて豪華絢爛です。
唐門を抜けると二の丸御殿です。

何度見てもこの迫力には圧倒されます。
「車寄」と、その奥に続く大広間の屋根が実に巨大です。
もう少し近づくと、屋根の華やかさが際立ちます。

車寄の欄間彫刻は表と裏のデザインを変えており、表側には五羽の鸞鳥(らんちょう)・松・ボタン、上部には雲、下部には笹を見ることができます。
屋根は桧皮葺になっており、床は牛車で中に入れるように四半敷になっています。
ここからは、撮影が一切禁止なので写真に収めることはできません。
遠侍は二の丸御殿では最大の面積があり、1046.1平方メートルです。
城に参上した大名の控の間です。
続いて「勅使の間」「式台の間」「大広間1、2」「大広間4の間」と続きます。
黒書院は将軍と親藩大名・譜代大名の内輪(うちわ)の対面所で、大広間より若干規模は小さいのですが部屋飾りはより技巧的です。
白書院は将軍の居間・寝室だったところです。内部の装飾も大広間や黒書院とは趣向が異なっています。
この中で、特に大広間一の間は広さ48畳、二の間は44畳あり、将軍が諸大名と対面した部屋で二の丸御殿の中で最も格式の高い部屋です。
この部屋で慶応3年(1867年)10月、15代将軍慶喜が諸藩の重臣を集め、大政奉還を発表した歴史的な部屋です。
この部屋には人形が並んでいて、当時の様子を表現していました。
各部屋の反対側を通って遠侍まで戻り、外に出ます。

唐門を反対側から見た写真です。
本丸や庭園は以前に見ているのでパスして、バス停のある正面に出ます。
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