バスは電車よりも難しく、スマホのナビ案内でも簡単にはいきませんでした。

バスにはそれぞれ番号が振ってあり、これを見て行先を判断します。
しかし、やってくるバスには番号とは違う行先表示がされていて、ここで手間取ってしまいました。
それでも何とか、これだと思うバスが来たので乗車します。
こんな時に限って、子供たちの集団が通路を埋めます。

間をすり抜けて前へ進み、運転手さんに降りるバス停を確認します・・・。
ところが、運転手さんもわからず無線で聞いてくれました。
しばらくして、「千本今出川」というバス停だと教えていただきました。
千本今出川で降車して、ここからはナビの出番です。
しかし、私の勝手な判断から大変な道に迷いこみます。

この道の左にそのお寺があるのですが、入口が見つかりません。
しかし、この道路・・・・・電柱が邪魔そうですね。
更に道は細くなりまして・・・。

車は入ってこれなさそうですが、一台なら何とか・・。
機織り工場なんかもありました。
結局ぐるっと回って、およそ20分もまわり道をさせられて到着。

こちらは正面ではなくて、横の入口でした。
「千本釈迦堂」は正式には「大報恩寺」といいます。
真言宗智山派で山号は瑞応山、本尊は釈迦如来、千本釈迦堂とは通称です。
本尊である釈迦如来像にちなんで釈迦堂と呼ばれますが、嵯峨の釈迦堂(清凉寺)と区別するため、千本釈迦堂と呼ばれます。
拝観受付をして、はじめに霊宝殿に入ります。

交通の便も良くはなく、有名か無名かといえば無名な寺でしたが、ここは正解でした。
霊宝殿内部には、独特の神聖な空気が流れていました。
整然と並ぶ仏像が、実にいいのです。
快慶晩年の作、十大弟子像は釈迦に従う10人の弟子の像です。
六観音像は定慶の作で、どれもよいお顔をしていました。
国宝の本堂棟木と棟札は義空上人の墨書銘があるそうですが、棟木は朽ちる寸前の傷みでした。
次は本堂へ続く廊下で靴を脱ぎます。

拝観受付をした人しか入れないような仕組みになっています。
外からの拝観は中央が少しだけ開いているので、ここから覗き見る程度です。

本堂は国宝に指定されていて、承久三年(1221)鎌倉時代中期に求法(ぐほう)上人義空が 小堂を建立して一仏十弟子像を祀ったのが起こりで、倶舎・天台・真言三宗弘通(ぐつう)の道場として隆盛しました。
本堂は1227年の建立で、京都市内では最古の木造建築です。
中に入ってみます。

千本釈迦堂は「おかめ塚」伝説のお寺としても知られます。
千本釈迦堂を建てる時、大工の棟梁が四本ある柱のうち一本を誤って短く切ってしまいました。
困っていると、妻のおかめが短い一本に合せ全部の柱を切るよう助言をしました。
そして、夫の失敗を救ったのが女性である自分だということを人に知られないように、自ら命を絶ったというのです。
この話は受け継がれ、江戸時代に三条の大工、池永勘兵衛が本堂の脇に「おかめ供養塔」を本堂の前に立てました。
今でも、家の棟上げには屋根裏におかめ御幣をかざる習慣があり、二月にはおかめ節分が行われるそうです。

本堂の横にはおかめ人形がたくさん展示されていました。
本堂の外に出て、全体を眺めます。

どっしりして落ち着いた雰囲気ですね。
正面が24.3m、横が28mあります。
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