さて次は、この日の本題である国宝の瑞巌寺です。
道が狭くて案内板も見当たらないので、スマホのナビを利用します。

結構グニャグニャ道ですね。
このナビでは、人しか通れない民家の間をすり抜けるような道もありました。
やがて高い杉林が見えてきます。

この池の先に瑞巌寺があります。
通常の反対側から入る形になりまして、それでも必ず受付は通らなければ入ることはできません。

右の建物が拝観受付で、写真の左側に白い工事壁が連なっていました。
もう少し早ければ、本堂は工事中だったそうです。

松島と言えば瑞巌寺と言うほど有名でしたが、国宝だとは知りませんでした。
瑞巌寺は松島の歌で記憶にあったようで、由来も何も全く知りません。
受付を済ませて直進すると、国宝の本堂があります。

瓦の修理もしたのでしょうか、色が違いますね。
本堂は1609年に完成し、38m×24mの大きさがあり、入母屋造りの本瓦葺きで10の部屋があります。
臨済宗妙心寺派の禅寺で、平安時代の初めに慈覚大師円仁によって開創された天台宗延福寺がその前身と言われているそうです。
江戸時代の初めに、仙台62万石の伊達正宗が現在の大伽藍を完成させたそうです。
正面から本堂内に入ります。

中は薄暗く、金色に光る襖絵が目立ちます。
襖絵は、仏教誕生の地の鳥、孔雀が描かれていました。
右から冬→春→秋と変化し、世俗的時間を超越していることを示しているそうです。
筆者は、仙台藩最初のお抱え絵師である佐久間修理です。

文王の間の奥、ここが藩主の部屋です。
黒塗框の豪壮な床の間・火頭窓・違い棚を備えた書院で、特に火頭窓等に施された飾金具がすばらしいです。
この部屋と上々段の間は、今はなき仙台城本丸大広間にも設けてあり、豊臣秀吉の聚楽第と並び称された仙台城大広間の豪華さを今に伝えているそうです。
廊下は本堂の周りを一周できる造りで、じっくり見てもさほど時間はかからないでしょう。

こちらは正面東南端の部屋です。
松・桜を配し、尾長鳥や鳩などさまざまな鳥が描かれていますが、一見すると、この絵は上手なの?などと素人には見えてしまいました。
本堂を出て、来た道を引き返してすぐに左へ向かうと、庫裡が見えます。

写真には映っていませんが、左右どちらを見ても工事の壁が景観の邪魔をしています。

これも国宝で庫裡といい、禅宗寺院の台所です。
京都の相国寺にも似たような建物がありました。
庫裡は昭和34年6月27日、国宝に指定されたそうです。
日本三大庫裡の一つで、京都の妙心寺、妙法院がそうです。

内部は法要を行う場所と書かれていて、庫裡としては使われていないのか定かではありません。
庫裡を出ると石畳の延長線上に宝物館があります。
しかし、宝物館よりももっと気になるものがありました。

岩を削って建物の一部になっています。
松島を形成しているのは、第三紀凝灰岩層というもので、これを掘った洞窟は松島のいたるところに見られるそうです。
瑞巌寺内の、この一風変わった建物も同じように利用されているそうです。
街を歩くと、岩を削った車庫もありました。
さて、宝物館です。

宝物館は正式には青龍殿といい、平成7年に完成しています。
本堂障壁画群と、寺伝来の什宝物を保存管理・展示・調査研究する為に新築された建物です。
この時は、毎年4月と10月限定の特別展示室にある上段の間、上々段の間を見ることが出来ました。

東日本大震災で被害を受けた杉の大木ですが、残された木々が痛々しく見えます。
震災当時は、この瑞巌寺に多くの人が寝泊まりして救われたそうです。
ちなみに、地震発生後に津波の警戒情報があったので、遊覧船は出ていなかったそうですが、桟橋や小型船は流されて大きな被害があったそうです。
瑞巌寺を出て、街を歩きながら駅へ向かいました。

角を曲がると、松島海岸駅が見えました。
14時42分の電車までは10分ほどで、小高いホームで待ちます。
ここでも台湾からと思われる観光客がたくさんいました。
列車の時間が近づくと、結構な混雑になってきました。
仙台駅に着くと、東口から出てみました。
こちらでは土産物店がたくさんあったので、気がついた時には予定していたお土産のほとんどを買っていました。
荷物が増えてしまったのでホテルへ戻ろうと西口に出てみると、雨がパラパラ程度ですが降り始めていました。
天気予報通りでした。


右端の建物が仙台駅です。

赤い矢印がホテルモントレ仙台です。
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