目覚めた時には、雨でアスファルトが濡れていました。
それでも雨脚は弱く、天気予報を再確認すると、雨は早めに上がりそうでした。
道の駅三笠の横にある楽市楽座付近では、焼鳥バスが早くからやって来て炭を熾していました。

イベント用のテントを立てているので、多少の雨では影響はないのでしょう。
しかも、こんなに早くから準備するということは、たくさん売れるからなのでしょう。
コンビニで朝食を購入して、朝ドラを観てからの出発でした。
岩見沢市内を抜ける国道12号線を市役所方向に曲がって、いつものボンべイブルー通りを直進しました。
ナビの案内通りに進むと、左手にかつて賑わった遊園地三井グリーンランドがありました。
いまはどうなっているのかわかりませんが、隣にある花の施設は営業しているようでした。

しばらくは丘陵の畑作地帯で、あちこちに溜池がありました。
ナビに小さな池が無数に映し出されていて、治水の苦労を垣間見ることができます。
岩見沢から1時間ほどで夕張市です。

縦に長い谷間の街という印象が残っていましたが、記憶に間違いはありませんでした。
富良野方向に谷間を上って行きます。
途中にはスキー場があって、ここがマウントレースイですね。
さらに進み、案内看板を右に進むと広い駐車場がありました。
しかし、ここは雑草も生えていて使用していない様子です。
かつては左手に土産品店があり賑わっていた施設も、いまは使われていませんでした。
ここから右折すると駐車場がありました。
しかし、ここから坂道を歩いて2分ほど・・・。

ようやくそれらしき建物がありました。

石炭博物館です。
正式には「夕張市石炭博物館」といい、近年リニューアルしたらしいです。
財政難なので、過剰な期待はせずに館内に入りました。
展示スペースに入るとトイレはないそうなので、ここで用を済ませておきます。
リニューアルはトイレも対象だったのでしょう、素晴らしいトイレでした。
博物館の1階は企画展示です。

今回は夕張鉄道に関する展示でした。

石炭によって栄えて行くと、そこには大量の人や物の運搬のための鉄道が栄えて行きます。
ワンフロアーのみの展示なので簡単なものと言っては失礼ですが、当時使われていた色々な鉄道に関するものが展示されていました。
鉄道マニアの方なら、きっとお宝が一杯なのでしょう。
常設展示は、階段を上って2階から始まりました。
大型スクリーンで、人々の暮らしが映し出されていました。

夕張の歴史が、時系列で詳しく映像を交えながら解説していました。
床は夕張市の地形図になっていました。
次なるゾーンは、この博物館の最も迫力ある展示へと進みます。

炭鉱夫が身に着けるヘッドライトです。
当時のものがそのまま展示されていました。
その先に、坑道へと降りるエレベーターが待っていました。

地下1000メートルというのがいいですね。
実際に乗ってみると、本当に1000メートルとまでは行かなくても長い時間をかけてエレベーターは降りて行く演出です。
たぶんですが、構造上10mも下りてはいないと思います。
扉が開くと、そこは夕張炭鉱初期の坑道でした。

炭鉱夫たちが、手掘りで石炭の採掘を行っていました。
坑道を進むと、次第に道具がツルハシから削岩機と進化していきました。

服装も変化しています。

落盤を防ぐ支えも、鉄の丈夫なものへと変化していました。
炭鉱夫の帽子も、布の帽子からヘルメットに変わっていましたね。
さらに進むと、近代化され大型機械が導入されていました。

採掘された石炭は、こんな大型の車両を使って地上へと運ばれていきました。

先端の採掘機が、どんどん石炭層を掘り進めて行きます。

掘った石炭は、ベルトコンベアで次々に運ばれます。
この展示は実際に機械が動き、大音響とともに石炭が採掘されて運ばれていく様子を見学することができます。
ここまでが地下展示施設で、次は本物の石炭層がある坑道です。

壁はレンガで覆われていました。
足元がクッション素材の、やや急な階段になっていました。
ここからは国登録有形文化財「旧北炭夕張炭鉱模擬坑道」という本物の坑道です。

空気はひんやりとしていて、真夏であれば最高の涼しさでしょう。

採掘機が、本物の坑道に実際に使われていた形で展示されていました。
今も地下水をポンプでくみ上げていて、足元は濡れていました。

大型機械が、石炭層の先を削っている部分です。
すぐ目の前で見られるので、これは貴重な展示物です。
以前来た時にも見ていますが、たぶんその時のままなのかもしれません。
これが最後の展示物で、ここから緩やかに出口へと上っていきます。

最後は階段が待っていました。
冷え切った体でしたが、この階段で温められました。
出口から外に出ると、別世界が待ち構えていました。

見学しているうちに霧が発生していたようです。
かなり濃い霧で、遠くは全く見えませんでした。
じっくり見学したので、もう11時を過ぎていました。